日記とは言い切れない更新速度です。
2009
ドイツに画家修業に行っている友達から、「最近『ラ・クンパルシータ』が懐かしくてたまらない」というメールが来たので、「私も最近なぜかよく思い出してたよ~」と答えておきました。
「私のカフェ遍歴は、『カフェ・シーモアグラス』(原宿)に始まって『ラ・クンパルシータ』で終わったんだと思う」と言ったら、「分かる!」と言われました。
ようするに、何が言いたいのかというと、穴倉というか、秘密の場所っぽいところなんですよ。二つとも。
ナルニア国シリーズの「ライオンと魔女」で、ビーバーさん一家の家が出てくるじゃないですか。素敵な穴倉、みたいな。ああいうイメージです。
でも、『ラ・クンパルシータ』は本当に凄かった。
穴倉どころじゃなかった。
友達の間では、「魔窟カフェ」と呼んでましたが、本当にそんな感じでした。
今となっては伝説です。
確か二年前ぐらい……? に閉まってしまって、一年前ぐらいには跡地に別の店が建ってしまったので、もうこの世に存在しないんです。
今となっては、あんな場所がこの世に存在したなんて信じられない。
写真も残ってないんですよ。手元に。
残念すぎる。
とにかく懐かしいので、ちょっと語ってみたいと思います。
存在が強烈すぎて、幻すぎて、記憶がいろいろ間違ってるような気もするんですが、まあ伝説のカフェだったんだ、ということで……(笑)
京都の四条通り、賑やかな界隈に、有名な青いカフェ「ソワレ」がありまして、私はそこも好きなのでよく行くんですが、「ラ・クンパルシータ」はその近くにあります(ました)。
ソワレも、まあ魔法のお店っぽい雰囲気はあるんですが、魔窟ではないですね。いたって健全です。
京都でデートコースといったら、ソワレはとってもお勧めだと思います。
まあそれはおいといて、ソワレから北にちょっと上ったところ、左側に細い路地がありまして、「いかがわしい」お店がみっちり並んでいます。戸口に怖そうなお兄さんとか立ってるようなところです。
その隙間に、黒く沈んだガラスを埋め込んだ、いかにも重そうな扉がありまして、それが「ラ・クンパルシータ」に続く入り口でした。
たしか、表札は馬車の絵……だったような記憶が。ヨーロッパのドレスを着た男女の姿、だったかな? 昔は金色だったんだな、と思わせるような文字で、「ラ・クンパルシータ」という文字が書かれていた、と思います。
扉の奥は、外から見えるような見えないような。薄ぼんやりと、赤い壁と黒い椅子が見えていたような気もします。
そして一歩中に入ると、外がいかに燦燦と日が照っていようが、全くの夜です。
夜の喫茶店です。
大体、営業時間がかなり遅くから、だったような気がします。実はここに来ると、出るまでに三時間かかるので、いつも深夜になって外に出る羽目になるんですが。まあその話はまた後で。
壁は赤いです。何百年か経って、ちょっと沈んだような色合いです。
黒い木彫りの背もたれのついた、教会にあるような椅子が並んでいます。クッションは赤いビロード。鉄の装飾がついてるやつもあって、店全体にゴシックな雰囲気を与えています。
見捨てられたゴシック教会か、どこかの処刑場のような雰囲気が漂っています。
それでもいつも温かい雰囲気がするのは、ひとえに店主の人柄のお陰だと思われます。
店主……女主人のS嬢は大抵、入り口を入った右側の椅子に座っています。もともと小柄な方ですが、その細い身体を二つ折りにして、額を膝につけた格好で休まれていることが多いです。二つ折りの携帯電話のように、ぴったり上半身と下半身がくっついているという状態です。まずこの体勢に、度肝を抜かれます。
お客が入ってくると、勢いよく上半身のみが跳ね上がります。びっくりします。でも、やっぱり小柄な方なので、1.5倍大きくなってもあまり迫力はありません。
S嬢の挨拶を受けて、そのまま店の奥に入ります。使われていない暖炉が奥にあり、なぜか白雪姫の小人人形が数人並んでいます。明らかに数が足りませんが、多分女主人によってどこかにお使いに出されているに違いありません。どこにでもあるような小人人形ですが、なぜかここにいる小人人形は雰囲気が違います。いかにも女主人と秘密を共有していそうな表情をしています。
S嬢が注文を聞きに来ます。コーヒーは500円。ミックスジュースは550円ぐらいだったような記憶があります。紅茶を頼めることもありますが、何が来るかは運任せです。私は最後まで、紅茶にありつけませんでした。友達は一回だけ紅茶にありつけたらしいです。羨ましい。
そこでまた、お客は驚異の光景を目にします。カウンターに戻っていったS嬢が、カウンターの開き戸を、そのまま下から入っていくんです。開き戸はそこそこの低さなんですよ。でもS嬢が背中をちょっと屈めると、そのまま開けずに下からくぐれてしまうんです。
……いや、説明しても分からないですね、あの光景は。
一度見た人なら、あの驚きが分かると思います。
人間業じゃないんですよ。何というか。
そして、一時間が経過します。
カウンターのなかでは、ありとあらゆる魔法の作業が行われているらしいです。たまにスチームの音がしたり、何かを砕く音がしたり、コポコポとあわ立つような音がします。たまに「ガンガン!」と叩く音がして驚くこともあります。
そしてさらに驚くことには、この段階でコーヒーは淹れられていないんですよ。何をしているのか、最後まで全くの謎でした。
一時間半経過。
再びS嬢がやってきます。
上品な笑顔で、「ご注文はコーヒーでしたでしょうか?」と再確認に来るんです。
この再確認は必須事項です。必ずあります。二、三回受けたツワモノもいるらしいです。
そしてこの段階で注文を変更することも可能だったりします。でもそんなことをすると、これから五時間ぐらいここで過ごすことになるので、絶対にやめたほうがいいです。ていうか、「あれ、私ミックスジュースを頼んだはずですが…」とかも禁句です。「コーヒーでしたでしょうか?」と言われたら、こっちも笑顔で頷いておきましょう。運がよければ、「ミックスジュースでしたでしょうか?」と言ってもらえます。全ては運です。
さて、再び一時間が経過します。
ようやくコーヒーがやってきます。
青色の上品な綺麗なカップに入っています。味はいつも同じ、濃くておいしいです。
ミックスジュースもおいしいです。本物の味です。なにせ、二時間半の謎の作業の末に作られた逸品です。それ自体が現代芸術のような気もしますが、でもちゃんとおいしいです。
お客がいなければ、S嬢が話し相手をしてくれることもあります。
ここで少し、S嬢について語ってみたいと思います。
年の頃は確か80代(正確な年を聞いた覚えがあるんですが、忘れてしまいました)。
しかし、数千年を過ぎた仙女のような方です。とても純粋な結晶のような、よく光る無邪気な目をしています。
若い頃はダンスホール通いをしていたそうです。
今はダンスホールとかないんですよ、と言ったら、とっても驚かれていました。
「えええ、では今の若いお方は、どこでお相手を見つけなさるのですか?」
とおっしゃるので、友達が、
「だからいないんですよ、相手が。どこに行ったらいますかね?」と笑って答えたら、
「それは難しいですねえ……」
と悩まれていました。うん、難しいですね。
私はこのS嬢と、何時間も差し向かいで話していたような気がするのですが、実はほとんど内容は覚えていない、という。
戦時中、ダンスホールの話、お店の話……
なんとも表現のしようがないんですが、本当に可愛らしい人でした。本物の魔女じゃないんだけど、魔法の場所に彷徨いこんで出られなくなってしまって、そのまま時間が経過した少女、みたいな。
あの人に会って、ちゃんと話した人なら分かってくれると思うのですが……
他にお客がいることも、それなりにありました。
なにしろ三時間待ちです。「分かっている」お客しか来ません。
たまに「間違った」お客が入ってくることもあります。
大抵は一時間ぐらいで音を上げて、お金を叩きつけるように去って行ったりします。
暗黒面もあるんですよ。魔窟らしく。
あまり詳しくは語りませんが、目撃した人は何人もいると思われます。あのカウンターとか。来訪者とか。
しかしその暗黒面も含めて、あれは「違う」世界だったんです。
ああ、表現するのが難しすぎる…… 一度入ってみれば分かるのですが。あの絶対的な空気感というか、異世界に迷い込んだような感じが。
どことなく、宮崎駿の映画になら出てきそうな雰囲気でもある。
今はもうどこにもなくて、S嬢もどこかに行ってしまったんですが、未だに記憶している……んだけどどことなく曖昧な、本当に幻みたいな場所でした。
なくなってしまったのが本当に惜しくて惜しくて。
私はこれまでに三箇所、魔法の場所みたいだと思った場所があるんですが、「ラ・クンパルシータ」は間違いなくその一つでした。
ところで、「ラ・クンパルシータ」というのは、タンゴ音楽です。ダンスホールでよくかかっていたのかもしれません。お店にはいつも、低音で不思議なタンゴ音楽が流れていました。
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