日記とは言い切れない更新速度です。
2014
何はともかく、名古屋は覚王山、東山の給水塔に行きたすぎる件について。
ぐぐる先生による画像検索結果→★
しかしここ、春分の日と、8月8日にしか一般公開していないそうで……む、無念……!
給水塔って、やたら面白いデザインのものが多くて、いやでも目を惹くんですが、あれはどうしてああいうことになったのか。今度、本腰を入れて調べてみようと思っています。
それはそうと、名古屋旅行記その2、今度はさらに旅行記らしからぬ内容でお送りします。
まずは一枚目。
あ……アメンボだと……?!!
きっと、雨水貯めるやつなのでしょう。それでアメンボなのでしょう……と、後になって思いましたが、見たときは吃驚しました。
こういうセンス、好きです。
地面の落書き……ではない。何か実に重大な意味があるに違いない、その筋の人にしか分からない暗号。
よくあるといえばあるものですが、大須の商店街を歩いていたら、多すぎた。通りの端から端まで描いてありましたが、今度いっせいに歩道の敷設工事でもする予定なんでしょうかね。かといって、現地の方にわざわざ問い合わせてみるまでには至りませんでしたが。
大須では、モノコトという雑貨屋兼ギャラリー兼アートスクール兼カフェ、みたいな場所にお邪魔しました。
買ったもの↓
戦前に作られた金具だそうです。紐やロープを留めるのに使われていたらしい、とのこと。
ひとつひとつ歪みのある形が面白くて、指輪か何かにできないかな、と思っています。
……と、少しは雑貨やアクセサリーネタを振っておいて、また元の調子に戻ります。
道端で見かけた落書き。
何やら不穏な内容を含んでいるのならば、堂々と写真掲載して申し訳ないのですが(多分含んでいるに違いない)、私にはこれ、パブロ・ピカソを真似て馬に乗る少年を描いてみた としか思えないのであります……
きっとそんな意図はないに違いない……が、一度そう見えるとそうとしか見えない……
こちらは名古屋市市政資料館の床。
鱗のある魚が大量にいるように見えたんですけど、私はどうしてこう、名古屋で妙な鑑識眼(?)を発揮しているのか……
市政資料館は入場無料な上、煉瓦建築を堪能でき、地下の拘留所だの裁判風景の再現だの、予期せぬ面白さもあり、喫茶室では渋いマスターが雀にパンくずをやっている、という、いろんな意味で素敵きわまる場所でした。
喫茶室で食べたミックスサンド↓
建物の外観はこんな感じ↓
あと、この界隈(白壁)では、旧豊田佐助邸(ここも参観無料)にお邪魔しました。
趣味のよさを感じさせるお屋敷で、どこか懐かしくもあり、すっかりくつろいでしまいました。
ガイドボランティアの方がすごく熱心に解説してくださり、あまりに親切な方だったので、ついつい、これまであまり表ざたにしていなかった事実を暴露してしまいました(大げさ)
実は私、名古屋の血が大量に混ざっているんです……(これが人生初名古屋だったけど)
父方が尾張徳川家に仕えた武士の血筋なので、名古屋にはかなり多くの血縁がいるんです。と、聞いてはいましたが、実際、名古屋についた途端、二回ほど「○○さん!」と名字で呼びかけられて吃驚しました。いや、隣の人を呼んでたんですけど。しかし、隣に座った人が同じ名字(しかも立て続け)という経験は初めてだったので驚きです。これまで、同じ名字の人に(テレビ以外では)出会ったことがない上、微妙に似ている名字に間違えられたりとか、日常茶飯事だったので……
名字を告げた途端、「ああ、○○家ね」と言ってもらえるこの感じ。何この地元感。
しかし、私、名古屋にはトラウマしかないんですよ。というか、名古屋人には。
心は優しいけど、口は悪いし声は大きいしちょっと怖いしギャルが多いし丸刈りが多い、時間にはルーズで謝るのが嫌い、食事は塩分過多にも程がある(偏見だがかなりの頻度で間違ってないと信じてる)、そんな名古屋の血が自分に大量に入っているなんて未だに信じられない。信じられない、と言い続けながら名古屋の市街を歩き続けたので、えらくテンションが上がっていたのは確かです。なんていうのか、こういう感情……愛憎?(笑)
ちなみに、祖先(というか数代前)は明治維新で没落し、武士を廃業して食っていけなくなり、その辺の神社の神主に納まったそうですが、これがぐうたらで酒飲みでどうしようもない神主で、その子孫は神奈川に移り住み、真面目に役所勤めをして生き延びたそうです。なので、父はすっかり神奈川県民なのですが、ひょっとして、名古屋にはまだその神社があるのかもしれない……
だったら調べてみればいいのですが、調べたいような調べたくないような。名古屋に対する私の感情は、常に相反してるんです。本当に自分で自分がよく分からない。一面では面白がってもいるんですが。
なお、他に、私に混じっているのは岡山の旗本、佐賀藩の下級武士、東北の豪族(豪族……?)の血だそうです。これが私の中で、名古屋の血と喧嘩してるんだろうか。
どうでもいい後日談ですが、帰宅して、「すっごく訳わかんなくて、でも名古屋楽しかった!」と言っていたら、父のテンションがやたら上がっていました。「今度名古屋行こうかな」とか言ってました。これも、内部の名古屋人の血が騒いだんだろうか。
お土産には、「納屋橋まんじゅう」を買って帰ったんですが、上品な酒まんじゅうで、好みでした。「こんなのは上品すぎて名古屋じゃないよ」と言いながら、父が嬉しそうにばくばく食べてました。我々一家が名古屋と折り合いをつける日も近そうです。
ぐぐる先生による画像検索結果→★
しかしここ、春分の日と、8月8日にしか一般公開していないそうで……む、無念……!
給水塔って、やたら面白いデザインのものが多くて、いやでも目を惹くんですが、あれはどうしてああいうことになったのか。今度、本腰を入れて調べてみようと思っています。
それはそうと、名古屋旅行記その2、今度はさらに旅行記らしからぬ内容でお送りします。
まずは一枚目。
あ……アメンボだと……?!!
きっと、雨水貯めるやつなのでしょう。それでアメンボなのでしょう……と、後になって思いましたが、見たときは吃驚しました。
こういうセンス、好きです。
地面の落書き……ではない。何か実に重大な意味があるに違いない、その筋の人にしか分からない暗号。
よくあるといえばあるものですが、大須の商店街を歩いていたら、多すぎた。通りの端から端まで描いてありましたが、今度いっせいに歩道の敷設工事でもする予定なんでしょうかね。かといって、現地の方にわざわざ問い合わせてみるまでには至りませんでしたが。
大須では、モノコトという雑貨屋兼ギャラリー兼アートスクール兼カフェ、みたいな場所にお邪魔しました。
買ったもの↓
戦前に作られた金具だそうです。紐やロープを留めるのに使われていたらしい、とのこと。
ひとつひとつ歪みのある形が面白くて、指輪か何かにできないかな、と思っています。
……と、少しは雑貨やアクセサリーネタを振っておいて、また元の調子に戻ります。
道端で見かけた落書き。
何やら不穏な内容を含んでいるのならば、堂々と写真掲載して申し訳ないのですが(多分含んでいるに違いない)、私にはこれ、パブロ・ピカソを真似て馬に乗る少年を描いてみた としか思えないのであります……
きっとそんな意図はないに違いない……が、一度そう見えるとそうとしか見えない……
こちらは名古屋市市政資料館の床。
鱗のある魚が大量にいるように見えたんですけど、私はどうしてこう、名古屋で妙な鑑識眼(?)を発揮しているのか……
市政資料館は入場無料な上、煉瓦建築を堪能でき、地下の拘留所だの裁判風景の再現だの、予期せぬ面白さもあり、喫茶室では渋いマスターが雀にパンくずをやっている、という、いろんな意味で素敵きわまる場所でした。
喫茶室で食べたミックスサンド↓
建物の外観はこんな感じ↓
あと、この界隈(白壁)では、旧豊田佐助邸(ここも参観無料)にお邪魔しました。
趣味のよさを感じさせるお屋敷で、どこか懐かしくもあり、すっかりくつろいでしまいました。
ガイドボランティアの方がすごく熱心に解説してくださり、あまりに親切な方だったので、ついつい、これまであまり表ざたにしていなかった事実を暴露してしまいました(大げさ)
実は私、名古屋の血が大量に混ざっているんです……(これが人生初名古屋だったけど)
父方が尾張徳川家に仕えた武士の血筋なので、名古屋にはかなり多くの血縁がいるんです。と、聞いてはいましたが、実際、名古屋についた途端、二回ほど「○○さん!」と名字で呼びかけられて吃驚しました。いや、隣の人を呼んでたんですけど。しかし、隣に座った人が同じ名字(しかも立て続け)という経験は初めてだったので驚きです。これまで、同じ名字の人に(テレビ以外では)出会ったことがない上、微妙に似ている名字に間違えられたりとか、日常茶飯事だったので……
名字を告げた途端、「ああ、○○家ね」と言ってもらえるこの感じ。何この地元感。
しかし、私、名古屋にはトラウマしかないんですよ。というか、名古屋人には。
心は優しいけど、口は悪いし声は大きいしちょっと怖いしギャルが多いし丸刈りが多い、時間にはルーズで謝るのが嫌い、食事は塩分過多にも程がある(偏見だがかなりの頻度で間違ってないと信じてる)、そんな名古屋の血が自分に大量に入っているなんて未だに信じられない。信じられない、と言い続けながら名古屋の市街を歩き続けたので、えらくテンションが上がっていたのは確かです。なんていうのか、こういう感情……愛憎?(笑)
ちなみに、祖先(というか数代前)は明治維新で没落し、武士を廃業して食っていけなくなり、その辺の神社の神主に納まったそうですが、これがぐうたらで酒飲みでどうしようもない神主で、その子孫は神奈川に移り住み、真面目に役所勤めをして生き延びたそうです。なので、父はすっかり神奈川県民なのですが、ひょっとして、名古屋にはまだその神社があるのかもしれない……
だったら調べてみればいいのですが、調べたいような調べたくないような。名古屋に対する私の感情は、常に相反してるんです。本当に自分で自分がよく分からない。一面では面白がってもいるんですが。
なお、他に、私に混じっているのは岡山の旗本、佐賀藩の下級武士、東北の豪族(豪族……?)の血だそうです。これが私の中で、名古屋の血と喧嘩してるんだろうか。
どうでもいい後日談ですが、帰宅して、「すっごく訳わかんなくて、でも名古屋楽しかった!」と言っていたら、父のテンションがやたら上がっていました。「今度名古屋行こうかな」とか言ってました。これも、内部の名古屋人の血が騒いだんだろうか。
お土産には、「納屋橋まんじゅう」を買って帰ったんですが、上品な酒まんじゅうで、好みでした。「こんなのは上品すぎて名古屋じゃないよ」と言いながら、父が嬉しそうにばくばく食べてました。我々一家が名古屋と折り合いをつける日も近そうです。
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